日本で開発されたプロダクト「ゲーム機」のデザインについて

2022/03/29
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ゲーム機の市場は、今や日本が独占している状態と言っても過言ではありません。ゲーム機は海外で誕生したものですが、現在では販売台数のほとんどを日本が占めています。過去を辿ると、実はそのきっかけとなる人気機種が数多く開発されているのです。当時のゲーム機のデザインとは、いったいどのようなものだったのでしょうか?今回は、ゲーム機の歴史とともに、日本で開発されたゲーム機のデザインについてご紹介いたします。ぜひ最後までご覧ください。

【目次】
1.ゲーム機の歴史
2.日本で開発されたゲーム機のデザイン
3.近年のゲーム機デザインの傾向
4.今回のまとめ

ゲーム機の歴史

家庭用のゲーム機として、世界で最初に登場したのはアメリカ企業のマグナボックスの「オデッセイ」です。1972年に発売され、現在のゲーム機のように、その場で2人で遊ぶことが可能で主にスポーツゲームを楽しめます。無論、ゲーム自体は現在ほど精巧なものではなく、ゲーム機に関しても電池式であったり、テレビに専用のフィルムを貼り付けたりする必要があるなど、改善点の多いものでした。
1975年になると、マグナボックスと日本企業のエポックが提携して開発した日本初のゲーム機「テレビテニス」が発売されますが、同年に発売されたアタリの「ホーム・ポン」が世界的にヒットしたことから、あまり認知されることはなかったようです。その後には、携帯型ゲーム機など様々なゲーム機が登場していきます。
そして、1989年以降になると、日本企業によるゲーム機業界を賑わせる開発が続々と行われていきます。具体的には、1989年には任天堂の「ゲームボーイ」が発売され携帯型のゲーム機で史上初の累計販売台数1億を突破し、1990年には同企業から「ファミコン」の次世代機となる「スーパーファミコン」が発売され数々の名作ゲームが誕生し、1994年にはソニーから「PlayStation」が発売され家庭用ゲーム機史上初の累計出荷台数1億突破を成し遂げ、2000年には「PlayStation」の次世代機となる「PlayStation2」が発売されゲーム機史上最高の累計出荷台数を叩き出したのです。
なお、「PlayStation2」の累計出荷台数は1億5,500万台で、未だにこの記録は破られていません。また、この開発をきっかけに、「Xbox」シリーズで有名なマイクロソフトがゲーム機業界に参戦したと言われています。

日本で開発されたゲーム機のデザイン

日本で初めて開発されたゲーム機は、マグナボックスとエポックの提携で誕生した「テレビテニス」です。現在のゲーム機と同様に2人のプレーヤーで遊べるものの、そのデザインは現代のものとは大きく異なり、本体とコントローラーが一体化しているほか、プレーするゲームを選べないというものになります。なお、遊べるゲームはその名称通りテニスになりますが、お互いに操作できるのはキャラクターではなく壁のようなもののみで、それらを動かしてボールを弾き合うといった単純なものです。
とはいえ、その後開発されていくゲーム機ではコントローラーが独立したデザインが主流となり、またゲーム自体はカセット・CDで別に販売される形が基本となります。そして、現在に近づくにつれてゲームの種類やクオリティも徐々に向上していき、今ではよりリアルな体験ができるゲームが主流となり、自ずとゲーム機には高い性能が求められるデザインとなったのです。ほかにも、現代のゲーム機にはインターネット接続機能が標準搭載され、その場だけでなくオンラインでゲームを楽しむことを当たり前にしています。

近年のゲーム機デザインの傾向

近年では、オンラインゲームの普及から、高性能で操作にストレスを与えないようなゲーム機デザインが主流です。例えば、最新のゲーム機であるソニーの「PlayStation5」には、高性能なCPUとGPUをはじめ、大容量のメモリや読み込み速度を向上させるSSDなどが搭載されています。
また、Wi-Fi 6にも対応し高速通信も可能です。性能が高い分、ゲーム機本体の大きさは従来型の機種を上回っているものの、より高いゲーム性を実現したデザインとなっています。一方で、テレビゲームと携帯型ゲームを一体化させた「Nintendo Switch」のように、独自のデザインを突き詰めたゲーム機も見られます。

今回のまとめ

ゲーム機は海外で誕生しましたが、その後の業界に大きな影響を与えたのは日本で開発されたゲーム機の数々です。そして、今やゲーム機市場は日本が独占するような形となっています。現在でも十分な機能・デザインを有するゲーム機ですが、今後もさらなる進化を遂げてより洗練されたデザインへと変わっていくことでしょう。